明治元年2月15日(1868年3月8日)、新政府総裁で東征大総督の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王は、東海道・東山道・北陸道へ向かう軍を率いて京都を発ち、参謀として薩摩藩の西郷隆盛(たかもり)などを従え、江戸へ向けて進撃を始めた。京都出発に先立ち、親王は天皇から節刀と錦旗を授けられた。節刀は指揮官の強大な権威を示すもので、律令制の下で遣唐使や出征する将軍に授けられている。錦旗は天皇の軍隊であることを示すもので、伏見・鳥羽の戦いに際しても絶大な威力を発揮した。