天皇はあくまでも平和を願っていたが、朝鮮への南下を見せるロシアに危機感を抱いた日本政府は、明治37年(1904)2月4日、御前会議を開き、ロシアとの外交交渉を打ち切り、軍事行動に移ることを決定、2日後に国交断絶を通告し、10日には宣戦の詔勅が発せられた。戦争は、朝鮮半島北部から旧満州(中国東北部)南部を主戦場として、九連城・旅順・遼陽・奉天など各地で激戦となった。日本の連合艦隊がヨーロッパから回航してきたバルチック艦隊を日本海で撃破するなど、しだいに日本軍優勢の展開となった。