安田稔: 75. 樺太国境画定カラフト国境に境界石を設置 · 明治39年6月-40年10月(1906年-1907年) · 樺太日露境界 (樺太)

樺太国境画定
解説

明治39年(1906)6月中旬、日露両国は国境を画定して標示する作業に着手、明治40年9月下旬、画定の作業を終えた。国境画定のためには、森林を伐採しつつ調査・測量を行う必要があった。東はオホーツク海沿岸から西は間宮海峡に至る広大な森林ツンドラ地帯は人跡未踏の地も多く、作業は容易ではなく、その距離は約130㎞に達した。設置したのは北緯50度線上の天測境界標4基および中間に小標石17基である。境界標の日本領側に彫刻する記章は、明治天皇のご裁断により菊花章に定まった。周囲には「大日本帝国境界」と刻まれ、裏面のロシア側にはロシア帝国の双頭鷲紋章とキリル文字で「ロシア」「国境」と刻印されている。これを模した境界標は絵画館前庭に設置された。