
和田三造: 80. 大葬御葬儀 · 大正元年9月14日(1912年) · 伏見桃山(京都)

解説
天皇崩御に伴い、皇太子嘉仁(よしひと)親王は第123代天皇に践祚され、元号は「明治」から「大正」に改元された。追号は「明治天皇」と申し上げ、大正元年(1912)9月13日、東京の青山練兵場に設けられた葬場殿において、明治天皇の大喪の儀が行われた。午後11時前、ご霊柩が葬場殿に到着、翌日午前1時に式典は終了、2時に青山仮停車場から霊柩列車が京都に向け発車した。ご霊柩安置の場所は今の絵画館裏で、「葬場殿趾」碑が立つ。列車は東海道線を走り、午後5時すぎに京都桃山の仮停車場に到着、葱華輦に移されたご霊柩は、霧雨の中を陵所へ向かう。7時半すぎ、埋柩の儀が始まり、すべての奉葬が終ったのは、翌15日午前であった。こうして幕末から明治時代に日本国民の先頭に立ち近代国家を築き上げた明治天皇のご生涯は幕をとじたが、国民より永遠に天皇のご遺徳を敬い、お慕いしたいという熱誠が高まり、その真心が実って、崩御から9年後の大正9年(1920)11月1日に明治神宮は鎮座するに至った。更に6年後大正15年10月22日には明治神宮外苑が創建され、外苑の中心施設である聖徳(せいとく)記念絵画館は明治天皇の聖徳と皇后(昭憲皇太后)の坤徳(こんとく)を今も伝え続けている。