日露役旅順開城日露役旅順開城

69. 日露役旅順開城

旅順を守備のロシア軍降状

荒井陸男

明治38年1月5日(1905年)

旅順口水師営(関東州) ※現在の中国の遼寧省大連市

奉納者

関東庁

69. 日露役旅順開城

荒井陸男

69. 日露役旅順開城

旅順を守備のロシア軍降状

荒井陸男

明治38年1月5日(1905年)
旅順口水師営(関東州) ※現在の中国の遼寧省大連市
奉納者
関東庁

解説

明治38年(1905)1月1日、乃木希典大将の率いる第3軍は、遼東半島先端部にロシアが築いた旅順の要塞を陥落させ、5日には要塞の開城規約が水師営で調印された。旅順港内のロシア艦隊を封じるために続けられた要塞への攻撃は、150余日に及び、日本は死傷者約6万人の犠牲を払って、ようやく勝利を勝ち取った。この攻撃は爾霊山の攻防を含む大激戦で日露戦役中、最も大きな犠牲を払った戦いだった。1月2日深夜、旅順陥落の吉報に接した天皇は「あたらしき年のたよりに仇の城ひらきにけりとつたへきにけり」と詠まれた。安堵感が窺える内容である。

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